松浦学校 40年かけて卒業しました。

報告です!

2021年3月26日に40年かけて松浦学校卒業させて頂きました。

昭和55年4月 大学卒業後、松浦機械製作所に入社、3年間の予定でお世話になることになってました。

しかし、昭和56年2月当時社長松岡俊夫が病にかかり小さい会社でしたのでやむなく京都に帰ってきました。

昭和57年1月1日に亡くなったわけで2年2ヶ月という期間を残し社長として会社を継ぐことになりました。

松浦機械様には本当にお世話になりました。当時中小企業の社長の息子を3年間預かって頂き会社に送り返すという初めてのケースとして福井に参りました。

その時に非常にお世話になった「上村誠先輩」がこの3月末に退社されると言うことでいてもたってもいられず26日に訪問して先輩と二人でその夜はお疲れ会をさせていただきました。

当時先代社長から「これからはMCが主流となり町工場にもいるようになる」だからそこで3年間勉強してこいと言われ10ヶ月で帰ってきて非常に今まで中途半端な気持ちでしたが40年たち改めて訪問し現在小生も63歳、事業も「開発・試作・事業発明サービス」と加工業からは少し変わってきて、おそらくこれが最後の訪問となるでしょう。

同期11名 現在3名が働いており愉しい思い出話を現場でさせていただきました。残念なことに3名が亡くなられていました。

松浦会長も亡くなれ唯一の親しく接していただいた先輩も退社される事になりましたが、先輩に工場の現場もゆっくり見学させていただき夜は先輩と酒を交わし、今日をもって40年かけ卒業させていただけたように思いました。

先輩からも松浦会長が生きておられたら今の松岡を見て「まっちゃん、良くやったなぁ」といわはるよ、っと言ってもらえ卒業証書もらえたように思い翌日京都に帰ってきました。

縁があって福井に行き松浦機械様に右左わからん若造を社会人として育てていただき、、また亡き松浦会長には心配かけっぱなしで京都に来られた折には必ず会社によって頂きました。感謝で一杯です。

本当にこのようなご縁を頂いたこと感謝しこの経験をどこかで若い皆さんにお返しできたら、と思います。

尊敬する上村先輩です。

私が55年に世話になったアパートです(当時から古かったんですが)また有りました、なつかしや。

最後に福井の信号は「縦」でした。